母の日に向き合う日
4月の終わりに臨時議会があってから、給付金の周知であったり、今年度からの市の総合計画はじめ複数の事業計画や基本計画が策定されたので目を通したりしていました。
改めて、事業や給付金の周知は、市報やホームページ+αが大事だと感じます。
明日からの一週間は、市全域を走り回ることになりそうです。途中、エール飯のお世話にもなろうかと思います。これまでも、明日からも、感染予防には気を付けます。
途中、気候変動に関する学習会に参加予定です。ネット会議システムを使って、全国から議員さんが参加されるようです。これまで「東京開催」「大阪開催」など場所を気にしていた常識が変わりました。多量の二酸化炭素を出さなくても、家に残していく猫の心配をしなくても、学べるようになりました。
さて、母の日ですが、正直にいうと世の中にはお母さんに感謝するのが難しい状況の人もいれば、会いたくても会えない・声を聞けない・想いを伝えられない人もいらっしゃいます。
そういうことを考えると「母の日だから、これをしました」というようなことをネットに挙げることを躊躇います。私も若い若い頃(今も若いと言われそうですが、もっと若い頃)心から母の日を祝えない時期もあったんじゃないかなと思います。それに母が喜ぶようなものが分かりませんでしたし(物に執着のない人なので、余計に)、不愛想なりに(不愛想な子どもだったと思います)何がいいかを考えた思い出はあります。
母の日、父の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法)には定められていません。こんなに浸透しているのに不思議ですね。父の日と母の日はアメリカが発祥です。
母の日の背景には、女性の地位が低かった時代、戦争の時代に社会貢献に生きた一人の女性(母)と、母 亡き後に、追悼と感謝を国民の祝日「母の日」として残した娘の存在があるそうです。
二人の人生が、一世紀も残り よその国まで広がっているなんて・・・・。
「母」であるミセス・ジャービスは地域の医療・衛生環境の改善に尽くしたそうです。
コロナ禍の今、今年の母の日ほど 特別な感じがする年はありません。
家族と自主的に隔離環境をつくり、家に帰ることも控え、医療に従事してくださっているお父さん、お母さんが今も闘ってくださっています。ありがとうございます。
保健福祉部門の職員さん、夜中まで対応にあたられていました。ありがとうございます。
明日からも、気を付けながら過ごします。