望と某と紡と世界と

好きなものは SEKAI NO OWARI、Radwimps、宇宙兄弟、ちはやふる、深夜のダメ恋図鑑、BASARA、宮崎駿作品など

なぜ自殺死亡率が高いのか

第2次唐津市総合計画
後期基本計画(案)https://www.city.karatsu.lg.jp/shiseisenryaku/sogo/documents/sougoukoukikihonan.pdf

32ページ『現代社会はストレス過多の社会であり、少子高齢化、価値観の多様化が進む中で、誰もがこころの健康を損なう可能性があります。本市の自殺死亡率は、全国、佐賀県に比べると高い状況が続いており、男女別にみても、男性が約7割を占めています。
悩みを抱えた人を孤立させず、相談しやすい環境づくりや支援体制の整備に取り組む必
要があります。』

参考)唐津市自殺対策計画

www.city.karatsu.lg.jp

 

税金をかけて行われる事業だけで改善できることではないと思いますので、経験からお話します。

 

私は、自己肯定感の低い子どもでした。物心ついたときには、性自認に不満に近い違和感をもっていました。「死にたい」というより、「消えたい」と思っていました。なぜ「消えたい」なのか、というと、「死にたい」は「生きている」を肯定する言葉だと感じていたからです。「消える」というのは、「生きている」をなかったことにする言葉として認識していました。小学生の頃です。

周囲では、動物虐待によって子猫などが殺されるのを目にしていましたし、犬の出産に立ち会い、死産や事故死というものが生活の中にあったため「生きようとしているのに、死んでしまう命があるのに、生きることに迷っている自分は生きている」という後ろめたさのようなものもありました。

しかし、死ぬと母が悲しむので、それが嫌でした。

思春期になると自分のことを「変」と思うようになりました。周りに、そのことを話せませんでした。

高校生になって、思い切って話したときに、私は私でいいと思えたのは、同級生の一言があったからです。

 

その後、19歳くらいで「生きよう」という意思になったのも、別の同級生の一言があったからです。

 

現在、私が「日本が好きだ」と胸を張って言えるのも、旅をして出会ってきた人たちがいるからです。

 

日本が好きだから、安保法制に反対しました。

夏に、打ち上げ花火が上がると、射撃訓練を思い出します。

ずっと向こうの、人型をした「的」を狙います。「的」は「テキ」と読みます。頭の中で「敵」に変換され、「人」に変わります。どこの誰か分からない人、その人にも、父や母や恋人やパートナーや子や友人があり、悲しむ人がいる「人」を撃てるのだろうかという恐怖感が、花火の「ドーン」という音と、引き金を引いたときの音、衝撃や火薬の臭いとシンクロして思い出され、花火を「きれい」と喜べるのは、戦争を知らないからだと思うようになりました。

戦争はしてはいけません。

 

「まさかの坂」に行き当たったとき、自ら孤独にならないで欲しい。

私に、「自分も昔、こんなことがあったよ」と、抱えている痛みがあることを話してくださった人が、この間、何人もいらっしゃいます。行政の事業があるから、そこを乗り越えてこられた訳ではありません。家族だろうと、なかろうと、身近な人の存在が支えになります。逆に、身近な人の支えがなければ、行政の事業だけで命を支えることはできないと思います。

成人式へは、背負うものがあっても、人生は続くし、この先 色々な困難があっても生きて欲しいと思って参加しました。いつか「あんな人もいた。自分も頑張ろう」と思ってもらえるようにしたいです。姿を出さなければ、そんな未来はまずないから。

 

一般質問で、パートナーシップ制度の創設に理解を求めるのは、当事者の命を支えるだけでなく、個々の人の背景は様々だと行政の理解を示すことにより、市全体の「他者への理解」を促進させると考えるからです。

LGBTなどの人への理解の根底は、人間の多様性への理解です。

全ての人が当事者です。

 

最後に、伝えたいのは、「生きて欲しい」ということ。

生きていれば良いことがある、なんて気休めは言いません。実際、良いことより、大変なことの方が多いものです。

それでも、あなたに生きていて欲しい。

生きるために理由はいりません。人の役に立つとか、立たないとか、生きる価値とか、そんなことは一度、忘れてください。

生きていて。そう願っている人が、少なくとも、ここにいます。