望と某と紡と世界と

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住民自治を考える

今日は、「第60回唐津10マイルロードレース」です。

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たくさんの人が、虹の松原、唐津を訪れてくださるでしょう。

ようこそ、唐津へ。

雨が降っていますが、大丈夫でしょうか。

 

昨日は、観光客や地元の散歩の人などの利用の多い松原内通路の松葉かきをしてきました。

佐賀県の事業によって腐植土剥ぎ取りの工事が終わったばかりの場所で、工事前は草ぼうぼうで途方に暮れる景観でしたが、今は「白砂青松」に近い状態です。

70分ほど、一人で作業しただけで、トトロが寝ているような松葉の山が出来ます。

雑草の種が、あちこちに残っており、これを放置すると、すぐにまた草ぼうぼうになるため、地面を見つめながら小山に集めた松葉をビニールシートに乗せて、大山に集積します。

 

根気は必要ですが、単純な作業です。

私はアダプト事業に登録して、自分の行ける時間に行っていますが、KPPのときに参加すれば、道具の用意・片付けはNPOの方などがやってくれますし、初めての人でも、手順が分かります。やってみると、意外と(?)楽しいです。

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私たちは、みんな、税金を払っていますが(ホームレスの人も、消費税は払っています)その税金を管理する機関の維持、欠かすことのできない教育・福祉、道路の新設・維持など、「絶対に必要なところ」があります。

憲法には、「地方自治の本旨」という言葉があり、それは「団体自治と住民自治」のことです。

行政に「団体自治」の在り方を問う一方で、自分自身は「住民自治」の当事者です。

それを放棄して、全てを税金に頼るのは無理でしょう。

中心市街地の商店街は、日常的に、早朝 ゴミ拾いをしてくださっている人がいて、また別の人は、道のコンクリートや縁石の隙間から生えてくる草を取ってくださっています。どの人も、仕事をしながら行われています。

秋の落葉の時期、イチョウの葉を掃いていたら、近所の人が葉っぱを掃く用の箒を貸してくださいました。その方は、限られた時間の中で、歩道から路側帯に落葉を落とすところまでをやってくださっていて、私は路側帯の落葉を集積してボランティアゴミ袋に入れるという、何となくの分業ができました。

落葉を集めることの接点しかありませんが、この「ゆるい付き合い」は、とても大事だと思います。

西の浜は、月に一度 市民団体さんが清掃されていますが、私は行けるときに海に行ってゴミ拾いをしています。

 

こうした取り組みを行政にやって欲しいと言われる背景には、地方の衰退があるかと思います。農業、林業、漁業の第一次産業において、輸入品が入ってくることで、「国産」「地産地消」が困難になりました。技術や物流の進歩とも見れますが、結果として、一部の企業が儲け、小作人状態の生産者が世界中で生まれています。

住民自治の弱体化の震源地は、国政・世界経済ではないでしょうか。

 

かつて、私もアルバイトの掛け持ち4つ(週6、週5、週2×2)の生活をしていました。それでも、貯蓄できる収入にはなりません。あの状態で、「住民自治」や、投票について真剣に考えるなど無理です。

最低賃金を決めているのも、中央省庁です。

 

しわ寄せが地方にくる仕組み。

官邸前にいくら人が集まっても、国政が変わらない仕組み。

「街路樹の落葉、なんとかしてくれ」の解決は、唐津市役所ではなく、国政の在り方に通じています。

 

とはいえ、唐津市に対策を打つことが全くできない訳ではありませんので、浜崎駅の改良にあたって、新しくできる歩道に「街路樹はいらない」と発言したら、浮いてしまいました。

理由は「周りを見渡せば、青々と自然豊かである」「木を選んでも、落葉は避けられない」「既にある街路樹についても地域で管理できないという声に対応できていないのに、今後、人口が減って担い手も減るのが分かっているのだから、街路樹はなくてよい」「現在も、成長した木によって縁石が外れたり、道が盛り上がったりしている。ベビーカーや車いす、高齢者の歩行の妨げになる。ユニバーサルデザインの観点からも、安全面を優先し、費用をかけず維持できるのが好ましい」「街路樹設置の予定地は、朝・夕、送迎の車が縦列駐車することが予想される。歩道と車道を、色分けやポールでハッキリ分けて、見晴らしはよくしておいた方が安全」などです。