その有権者教育、間違ってませんか
昨年12月の某新聞に、新聞社が出前授業として行っている有権者教育について書かれていました。
そこでは、選挙の意義は『信号機を設置してほしい、のように、みんなのための希望をかなえるもの』であり、『それをみんなの代わりにやってくれそうな人を選ぶのが選挙』
さあ、みなさんは、どう思われますか。
具体例でいうと、信号機の管理者は警察です。
信号機の設置が必要なら、利用地域の住民が①みんなで意見を合わせて②根気強く③必要性を訴えること。です。信号機は、年間の設置台数や渋滞への考慮がなされますので、要望が必ず通るとは限りません。設置台数が増えるほど、維持費としての税金も必要になることも考えておかなければなりません。
そもそも、道交法では、歩行者優先となっていますので、横断者がいる場合に止まらなければそれは「違法」です。取り締まりがないだけです。信号機で強制的に止めないと、歩行者を優先することが出来ない運転マナーの悪さが問題の根源であることを忘れてはいけません。
要望の話に戻ります。
その場合、市が作成している都市計画などで必要性を訴える素材になるなら文書や資料にすればよいでしょうし、逆に阻害しているなら、そこは市の担当係りと話せばよいと思います。その相談や、橋渡しであったり、対応がおかしいときには市長や議員に聞けばよいと思います。
政治家の一言で信号機ができたら、それは問題です。
もう一つ、大きな問題と思われる発言は「あなたの代わりに、何かをやってくれる人」を選ぶのが選挙だと説明している点です。裏返せば「あなたは、何もしなくていい」ということです。
現に、他の自治体で若くして議員になった人で、この考え方によると思われる心ない言葉をぶつけられている例があります。知人が全国規模のため、県内に限りません。
初詣にしてもそうですが、1年に1回、「家族が健康で、無事に過ごせますように」と願っても、健康を維持する日々の行動なくして、その願いは現実にならないのと同じです。
議員が「健康でいられる環境」をつくる事業になっているかの仕組みと税金の使われ方をチェックし、疑問を明らかにし、必要に応じて改善を求め、その内容を議場を通じて広く知らせることで、さらに「住民自治」が強化されるものではないでしょうか。
先に挙げた例ですが、「健康に過ごす」について、最近だけでも唐津市は、針きゅう施術の補助条件を厳しくしましたし、ひとり親の医療費補助の減額もしようとしています。病院に行く交通費が診療費より高いという公共交通の問題もあります。基本的な食でいうと、中学校にまだ給食がないところがありますし、親の就労・家庭の経済状況が子どもの心と体づくりに繋がってきます。
「健康」ひとつで、百億円規模(を超す?)の事業に広がります。
しかし、個人の健康は、社会の健康の礎です。切り捨ててはいけないと考えています。
現状の国政・県政で、市町村がどこまで出来るか。何かをやるということは、何かをやめるということでしかありません。私の世代が「票にならない」と切り捨てられるのは、投票するための情報を入れないようにして「親に言われたから投票」をしてもらうのが権力者にとって都合がよかったからではないでしょうか。
情報があっても、投票先を決めるのは難しいということは肯定しておきます。
アメリカで「選択の研究」というのが行われました。
多くの洗濯洗剤を棚に並べたときと、数種類に絞ったときとでは、あらかじめ選択肢が絞られていた方が購入される結果だったそうです。
唐津市の定数は現在30。30人以上の中から、一人を選ぶのは難しくて当然です。まして、政治の話がタブー視されるか、悪口合戦になりがちな日本。まずはそこから変えていきたいものです。
最後に、いつでも・どこでも出来る有権者教育をお話します。
子どもの頃から「自分で決めて、やってみること」をやらせてください。もちろん、命に関わることや、「絶対にいけないこと」は本気で止めますが。
失敗しても「自分で決めた」「行動した」ことを、認めてください。
失敗も成功も、いつまでも引きずらないでください。私たちにあるのは「いま・ここ」です。その上で、過去を大切に「いま」を生きていきましょう。
やってみてどうだったか、やらなかったらどうだったか、大人の考えで一方的に諭すのではなく、対等な人間として会話をしてください。
そうやって、この国をつくれたら、いい国になるだろうと思います。