福島尚美、無所属です
驚かせてしまうかもしれませんが、離党し、無所属になります。
党へは、私から相談しました。
諦めていた政治に、初めて希望を感じたのは、2015年 安保法制への強い危機感から始まった野党共闘です。そのとき、党の候補を下げても「共闘を進める」という行動を見せたのが、日本共産党でした。理由はシンプルです。国民のために。
私が国政選挙の選挙カーで、初めて「ウグイス」をした時、比例は日本共産党ですが、候補者名は他党の候補者を応援しました。
その国政選挙が、順当にいっても来年 衆院選。その前に解散すれば、そこで衆院選となります。
私の不注意で、私が悪く言われるのは、私が受け止めていかなければいけません。
しかし、日本共産党への批判、野党共闘の阻害要因になることは、私の政治への希望の原点に反します。
党へ相談し、認めてもらったというか、私の意志があまりに固かったのかもしれません。国政は、国の要です。国政がしっかりしていれば、佐賀県も唐津市も大丈夫です。
他の自治体でも、若い議員さんが、地方議会で問題意識をもって一般質問されているものの中に、地方行政では解決し難いと思われるけれど、国が国民の健康を第一に考えて規制すれば一気に解決するものなどあります。
農薬や除草剤(枯葉剤)、自衛隊への個人情報提供、子育て、、、国保もそうです。
国政がしっかりしていれば、他の地方自治体も大丈夫です。
一人会派の会派名は「泰推海」(たいすいかい)です。
泰は、祖父母宅(今はもうありません)にあった庭木「タイサンボク」から転じて、過去・ルーツの意。海は、唐津の海。命が誕生した海。
過去はなくならず、変えることもできませんが、推し量り 推し量り、大きな海に小舟で帆をはります。
昨年は、フェイスブックで「体が5つ欲しい」と呟いていました。
でも、それは無理なことでした。当たり前のことで、すみません。
離党しても、私は私です。どうしても、市内各地に行って、それが何になるか分からなくても、行って見たかった。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
これは、「行くの哲学」だという記述を読んだことがあります。
何の役に立つかは分からなくても、「行く」ことに意味がある。
「行く」から、見れるもの、聞けること、気付くことがある。
「議員と話したことなんてない」という方がいらっしゃいます。
「議員は偉い人(役を持った人)としか話さないもの」と思ってらっしゃる方がいらっしゃいます。
「議員は偉い」「話しにくい存在」と思ってらっしゃる方がいらっしゃいます。
そうではありません。
そういうものに 私はなりたいです。
日本共産党は、最後まで一緒に謝ってくれました。感謝しかありません。
全ては、一人一人の暮らしのために。