望と某と紡と世界と

好きなものは SEKAI NO OWARI、Radwimps、宇宙兄弟、ちはやふる、深夜のダメ恋図鑑、BASARA、宮崎駿作品など

多様性はややこしいが必要

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

本屋さんに行く人なら、ブレイディみかこさん著のこの書籍が、平積みになっているのを目にされるのではないでしょうか。

 

学校とはなにか?改めて考えます。

私自身、学校が苦手な子どもでしたし、現在 周りにも学校が苦手な親や子がおられます。日本国憲法には

『〔教育を受ける権利と受けさせる義務〕
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。』とあります。ですので、教育というのは、子どもが学校に行く義務ではなく、教育を受けさせる社会の義務ではないでしょうか。

同時に、

『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。』に始まる前文と全条項を実現するためには、学ぶことが必要不可欠です。

 

多様性という言葉は、たいてい良い意味で使われますし、私も多様性を大切にしたいと考えている一人です。しかし、「民主主義は時間とエネルギーを要する」のと似て、多様性はややこしくもあります。著書では、多様性が物事をややこしくするのは事実で、ない方が楽なのは確かだけど、それでも「楽じゃないものが、どうしていいの」と息子に聞かれた母が「楽ばっかりしていると無知になるから」と答えます。

人の流動がなく、狭い世界では「多様性」を認めるのが困難になりがちです。一度、その楽さに慣れると、誰かが苦しむとしても「多様性を大事にしよう」とは思い難いような気がします。「慣れ」というのは、怖いものです。人の流動のない場所では、ルールも慣習に理屈をくっつけたようなものになりがちで、「力の強い誰か」がルールになってしまい、そこから外れると排除の対象とされたりします。いわゆる、いじめです。

 

学校とは、人の流動がなく、狭い世界です。一旦、「失敗」して行き場がなくなると、もうどうしようもないかもしれません。学校が、生活の大部分を占める子ども達の多くは、人知れず「失敗」しないようにしているのかもしれません。私は、学校は「疲れる場所」と記憶しています。私がセクシャルマイノリティで、自分でも自分の説明ができなかったことも関係しているかもしれませんが。いわゆる「クローゼット」でした。

 

それでも、生きていく方法。少しでも、生きやすい環境。それは「紛れられること」ではないでしょうか。例えば、東京はとても人が多いのですが、人の目がありません。人通りが少ない地方の方が、ずっと人の目が多くて疲れる一面があります。

学校で見るとどうでしょうか。

学校が子どもが成長するためにあるならば、統廃合は打ち消されるべき選択肢ではないと思います。多様性を認めるというのは、多くの他者がいて初めて経験として習得されるものだと考えています。複式学級や、関わる人が固定しきった環境が、成長のために果たして良いのか。大人が考えなければなりません。

 

市内には、34の小学校と、21の中学校があります。

教育委員会は、55の学校とやりとりしなければなりませんが、そのための充分な人員は措置できるでしょうか。とても難しいと思います。運営する大人に余裕がなくなれば、しわ寄せは子どもたちへ行くでしょう。大人も子どもも苦しい状態になります。

 

令和2年度の当初予算で、教育費は前年度から約4憶7000万円減の、約75億円。小学校の普通教室へのエアコン設置に約7億円が組まれ、小学校の設備更新・施設維持改修・維持管理・運営費で約4憶5300万円、中学校の同じ内容で約2憶2300万円。また、大規模改築などがあれば、一つの学校で十数億円は必要になります。

建物を持つということは、それだけ維持費がかかります。教育への投資を惜しんではなりませんが、少人数になっても校舎を維持することが、本当に子どものためでしょうか。また、税金の使い方として、建物の維持管理費を今より抑えて、設備を充足したり、学校に関わる支援員や指導員などを増やす(人件費が必要)ことなどは考えられないでしょうか。

 

地域の理解なく、進められることではありません。

しかし、意思決定をするのは大人で、設備投資の借金や環境の影響を負うのは子どもたちです。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読みながら、自分の子や孫が、少ない人間関係の中で育つのがいいか、様々な人の中で「多様性」を習得し、自分自身も多様であっていいのだと理解しながら育つのがいいか、考えてみませんか。

 

学校とは、何か。人が育つ場所であろうと思います。

既存の学校制度が、どうしても合わない人の選択肢についても今後、増えていくといいですね。私は、あの建物に行かなくても、社会全体が「学校」なのだと思っています。

個性を大切にできる社会になりますように。